どうしても逆シャアを語りたい
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
というアニメ映画をご存知だろうか。
ご存知ない場合は高確率で今回の記事は何言ってるかわからないと思う。
申し訳ないが劇場版ガンダム3部作、劇場版Zガンダム3部作を見たのち、上記映画を見てからこの記事に戻ってきてほしい。
少々お時間いただくことになるが、見て損はないと思う。
僕は逆シャアが好きだ。
何度も見返す程度には好きだ。
カラオケで毎回(周りの人に「?」という顔を浮かべられても)主題歌を歌う程度には好きだ。
ただ、僕はあまり深く知っているわけではない。
その作品内で表現されている範囲のことしかわからないし、今回は語らない、語れない。
申し訳ないが、ここから先は「読者は逆シャアを見ている」という前提で記事を書く。
そのため、簡単な固有名詞は説明せずに用いていく。
アムロとシャアについて
早速なので、一番語りたいことから書いていこうかと思う。
この二人の因縁は長い。
言ってしまえば、「シャアが抱くアムロへのコンプレックス」の物語がガンダムの一側面とさえ言えると思う。
15歳の少年(当時はわからないにしても)が操る高性能機体にザクを2機も撃墜されたところから彼のコンプレックスは始まる。
その後、なんやかんやあって現役軍人は15歳のコンピューターいじりが趣味の少年に命をかけたフェンシングを仕掛け、あわや殺されかける。
その過程にあった大切な女性については後々語りたい。
そうして一年戦争は終わりを告げる。その後なんやかんやあって二人は同じ軍隊にて共闘し、なんやかんやあって二人は袂を分ち、逆シャアは始まる。
そうして始まる逆シャアは戦闘シーンが多く含まれる。
もちろん戦闘しながらの会話がガンダムの醍醐味であり、それは逆シャアでも存分に発揮されているが、やはり戦闘シーンが多い。
その戦闘の最中、MS乗り最高峰の二人が見せる戦い、そして会話からわかるのは、どこまでも深い「相手への尊敬と落胆」だった。
二人はニュータイプだ。ニュータイプには様々な解釈があると思うが、僕は「わかりあうことのできる人類」であると思っている。
その二人が、当時(おそらくシリーズを通しても)最高峰のニュータイプである二人が、
「どうしてお前ほどの男が!!」
と全く相手を理解しようとしない、自分の中の「相手像」を押し付け合う。
両者とも相手への評価は高い。
しかし、
シャアが思うほどアムロは大局的に、地球規模のことを考えて行動することはできなかったし、
アムロが信じる以上にシャアは純粋で不器用な人間だった。
だからこそ、シャアはアムロほどのニュータイプが現在の地球連邦の内部にいながら、地球に対してなんの行動も起こさないことについて我慢できなかったし、
アムロはシャアほどのニュータイプがアクシズを落として核の冬を起こそうとすることについて理解ができなかった。
その対比、ジレンマ、逆説が僕には心地よく、そしてどこか救いがないように思えて僕は大好きなのだ。
ニュータイプはわかりあうことができる新しい人類のはずだ(少なくとも僕の解釈では)。そのはずの二人が全く相手を理解できず戦闘により議論に決着をつけるのは、どこか製作者からの「諦め」に近い主張を感じるのだ。
「どんなに『分かり合える』舞台装置を用意しても人間は分かり合えない。分かり合えないなら戦うしかないのか。人がわかりあうとはなんなのか。」
地球連邦とネオ・ジオンについて
「アムロとシャアについて」でも語りたかったが、あえて別の項目を分けて書きたい。
二つ目に語りたいのは地球連邦とネオ・ジオンについて。
少し拡張して述べるなら「シャアの主張について」だ。
シャアの主張は簡単に言えば以下のようだ。
地球に寄生する人類が増えすぎた。このままでは地球がもたないから地球にアクシズを落として地球を「休ませる」
何が原因で「地球がもたない」とシャアが感じたのかはわからない。環境問題かもしれないし、食料問題かもしれない。貧富の差かもしれないし、政治の問題かもしれない。
どれにせよ、シャアは「地球がもたん時が来ている」とし、アクシズを落として核の冬、人が住めない地球を目指そうとした。
もちろん、ネオ・ジオンはその思想に共感したスペースノイドが作る軍隊であり、シャアやその思想への忠誠心やモチベーションは高いように描かれている。
さらに非戦闘員もシャアへの好感度は高く、シャアが電車に乗れば(仕込まれたパフォーマンスかもしれないが)音楽が始まり花が人から人へと渡り、シャアへ手渡される。
地球人を殺そうとしているのに、なんとも「悪者」とは思えない描かれ方をしていると感じる。
その一方、地球連邦はどうだ。いかにもな政治屋、賄賂を受け取る高官。
まぁ、シャアの政治力が高すぎたというのはあるかもしれないが、政治的でいかにも悪い大人の部分が強調されて描かれているように思える。
正直、映画を視聴した上で「どちらの側に付きたいですか?」と質問されると、なかなかの割合がネオ・ジオンを選ぶのではないかと思う(クソ強い天パに遭遇しないのであれば)。
確固たる信念と団結の元、命をかけて戦うネオ・ジオンとそれに対し、いけ好かない政治屋のためではなく、地球を守るために命をかけるロンド・ベル。これも面白い対比だと思う。
正直、僕は映画を見終わって、何回も見返して、それでも
結局、アクシズを地球に落とすべきか否か
という問いに答えられなかった。
シャアの野望は阻止された。しかし、それで地球は救われるのか?
シャアが「地球がもたん」といった問題はなんなのか、それがあの戦いで解決したのか。何にもわからないままアクシズは遠くへと去ってしまう。
だからこそ、僕は「ロンド・ベルか?ネオ・ジオンか?」という問いに対してはおそらく「ネオ・ジオン」と答えるだろう。
そこにも僕は製作者の「諦め」が描かれているように思えてならない。
ここからは妄想、僕の想像の話になるが、製作者はおそらくシャアと同じ思いを抱いた。「このままでは地球がもたない」と。それがなんの問題であったのかは、シャアと同様わからない。
しかし、製作者にはどうしていいのかわからなかった。
だからシャアに地球人を滅ぼさせようとした。
しかし、どう考えてもその方法は自分の中で正しいとは思えなくて、それでもそれ以外には思いつかなくて。
だからアムロにシャアの野望は打ち砕かせるけど、思想そのものはどうしても覆せそうになくて。
だから、アクシズは落ちることなく宇宙を彷徨った。「ここからどうしていいのか自分にもわからない」と製作者が言っているような気がした。
「この方法が間違いだって自分でもわかってる、どうしていいのかわからないんだ。でもこのままじゃ地球がダメなんだよ!どうすればいいんだ!!」
エンディングではそんな叫びが聞こえるような気がする。
ララァについて
正直よくわからない。
ララァはシャアにとって母になってくれるかもしれなかった女性だ。それは劇中からわかる。じゃあアムロにとっては?
そこが正直、僕の中でピンと来ていないところがある。
一年戦争の頃は初めての理解者、もしかしたら初恋だったのかもしれない。
それがZの頃にはトラウマになり、逆シャアではむしろトゲトゲした言葉を投げかけているように思える。
逆シャアのアムロにとってララァとはなんなのか。少なくとも僕が知っている言葉では表現できない。楔、因縁、毒婦?
正直、本作でのララァは「シャアとアムロ」という因縁を結びつけるための舞台装置に見えて仕方ない。これから見返し続ければ違う見方ができるのだろうか。
好きなところ
逆シャアを見たみなさん、ぜひカラオケでBEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)を歌ってみてほしい、特にDAMなら確実にアニメ映像が流れる。
そこは戦闘シーン多めで「好き!」が詰まったシーン集だ。
最初の好きはサザビー出撃シーン。
母艦から出撃した直後の「ふわっ」としたサザビーがなぜか大好きなのだ。
その後の「粛清しようというのだ!」のシーンやνガンダム登場シーン、一番好きな「両機がビームサーベルで上下に斬り合うシーン」がある。最高に格好いい。テンションが上がると歌うのを忘れて「ここ好き!」と叫び出してしまうほどにかっこよくて好きだ。
あと、残念ながらカラオケの映像には流れていないのだが、
・シャアの政治(買収)シーン
・アムロがハロを貸し出してあげるシーン
・ファンネル同士が撃ち合ってるシーン
も好きだ。というか、流れるシーンはほとんど大好きだ。
最後に
ここまで、結局大した考察もせず、僕が「逆シャアが好きです」という話をしてきた。読者の方には特に新しい情報はなく、「わかる〜」の感想は持っていたけたかもしれない。
最後に、どうしても言いたいことがある。
もし、画面の前のあなたがMS一機で隕石の地球墜落を阻止しようとしたいのなら、隕石の墜落方向と逆方向、押し返そうとするのではなく、順方向、むしろ押し出して地球に落下軌道から逸らすことをお勧めする。伊達じゃないMSを使っていても物理法則は中々に絶対なものだ(ま、物理法則を無視して映画は終わるのだが)。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
