初めてチップを貰った日
僕はnoteというSNSも投稿している。
この記事が投稿されるときに僕が飽きていなければ、今も毎日投稿されているはずだ。
おそらく、この記事にはnoteからいらっしゃった方が多いと思うので、noteについての説明は省略する。
執筆時点、僕は初めてnoteでチップを貰った。
小躍りしながら執筆しているので多少の誤字は許してほっっっっっしししい。
僕はnoteで有料記事を販売する気はない。
流石にこれは断言できる、将来的にする気もない。
有料として読んでもらいたい記事は全てこちらのHPにて、寄付をいただいた方に向けて書いていきたい。
だから、今回のチップは天よりの宝札と言える。遊戯王プレイヤーならお互いのプレイヤーは手札が6枚になるようにデッキからカードをドローするだろう。
今回は、チップを貰った僕の心境について語っていきたい。
僕は記事を有料販売するつもりはない。
こう書くと「矛盾している」と思われるかもしれない。
このHPでは「寄付」と称したメンバーシップ方式によって実質的に記事を有料販売しているではないか!と。
……返す言葉もない。
ただ、弁解だけは聞いてほしい。
あくまでこのHPは「寄付」として位置付けている。
bylauという思想、僕の方向性に共感していただけた方から寄付をいただくという心構えでやっている。だから、寄付者限定の記事は僕としては「お返しの一つ」であり、「マネタイズする商品」ではないことは信じて欲しい。
さて、今回のチップはそれとは性質が違う。
もちろん、「僕」という作者に対してチップをいただけたのだと思うが、やはり「記事」そのものに支払われた感覚が大きい。noteには記事しか投稿していないから。
そのチップを、記事へのチップをいただいて、私の中に湧き出したのは誇りと覚悟だ。
僕は、「表現とは人生の積分」であると考えている。
どこかでそんな文章を読んだのか、自然とそう思うようになったのか、もう覚えていない。
ただ、表現とは、人生においてそれまで自分が経験してきた知識や感情、トラウマを全て足し合わせたものが表出したものだと考えている。……前の文章と同じこと言ってるね。
だから、その記事という表現に対して対価をいただけたことは僕の中で、「僕の人生に価値がついた瞬間」でもあり、「表現者として一歩踏み出した瞬間」でもあった。
何度か伝えているかもしれないが、僕は僕の人生に価値があると思っていない。心から僕の人生はなくて良かったものだと信じている。
ただ、僕の人生で経験したことを残すことには意味があると思っている。誰かに「僕」を遺すことは僕の使命のような気持ちで表現をしている。
「それでも」と、今回のチップは僕に一筋の光をくれた。
それでも、あなたの記事に心が動きました。という想いを受け取った。
僕はほぼ初めてに近い感覚で自分の人生に誇りを抱けた。
……抱けた、とまでいうとちょっと違う気もするが、自分の人生に少し向き合うことができた。
僕はこれからも思想と感情、人生を表現していく。
それはあまりにも稚拙で、不格好で、なんなら定まっていない。
「それでも」心が動いてくれた方がいるとわかったから。
僕は今日も表現できる。明日もできると思う。
もしかしたら、チップをくれた方はそこまで思っていなかったかもしれない。
「ほーん、まあまあな記事書くじゃん。投げたろ」くらいだったかもしれない。
「それでも」と言わせてください。
それでも、あなたのチップは僕の向き合い方を変えました。
僕はあなたの想いを受け取り、これからも創作、表現をしていきます。
本当に、本当にありがとうございました。
なんだか僕にあるまじき将来への光を感じさせる締め方で終わってしまった。
「希望を感じるグッドエンド」なんて、僕の表現には少しむず痒い。
でも、それくらい僕も心を動かされた。
今日は、いい日だ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
