恐怖の輪郭、天涯孤独。
僕は一人っ子だ。
だから、親が死んだら天涯孤独となる。
それに、結婚する気もない。
できないとかじゃなくて(それは禁句だぜ……!)、誰かと結婚したいと思わない。
だから、天涯孤独は確定している。
僕は、それがとても怖かった。
でも、今日は恐怖に向き合って、「どこが怖いのか」、「何が怖いのか」それを少し掘り下げてみた。
そうすると少しだけ恐怖の輪郭が掴めた気がする。
今日は、そんなお話。
僕が天涯孤独について恐れる時、大きく分けて二つの不安があった。
1.生活の恐怖:一人で生き、一人で死ぬ恐怖
2.存在の恐怖:誰からも必要とされない、誰の一番にもなれない恐怖(極端ではあるが)
こうやって恐怖を真正面から捉え、その輪郭を掴もうとした時、新たな疑問が浮かぶ。
すなわち、
それは恋人(ないしは配偶者)がいればなくなるものか?
結論から言うと、そんなことはないと思う。
確かに、恋人がいれば話は早いだろう。
恋人と共に暮らし、喜びや恐怖を共有する。
そうすることで孤独感は癒せるのは確実だ。
だが、もし恋人がいない人生だとしても、上に挙げた恐怖は避けて生きることができるのではないか?
そう思うし、そう信じたい。
1.生活の恐怖
これは仕組みで減らせる部分が多いように感じる。
僕はルールを守るのが得意、というか、ルールがないものに恐怖や不快感を覚える。
だから、恐怖が発生しそうな点にルールやルーティンを作ることでどうにか対処できるのではないかと考えた。
例えば
・体調を崩した場合の連絡先を確保する
・生活の難所を簡単にする
・定期的な連絡を取れる関係を確保する
などだ。……まぁ、言うは易し行うは難しだと思うが。
2.存在の恐怖
ここが僕の中にある恐怖の核のような気がしている。
「共有がない」。日常の喜びも、些細な恐怖も、珍しい祝い事も、ふとした拍子の共有ができないこと、これが一番の恐怖の源である気がしている。
だから、できるだけ共有をしていきたいと思う。
・祝う:年に一度、誰かと何かを祝う用意をする
・共有:怖い時に「怖い」と言えること、場所を作る
・雑談:くだらないことこそ話せる相手
これも、言ってしまえば簡単だが、実際の関係として築くのは難しいものではある。
結論:怖いものは怖い
でも、「何が怖いのかわからない」状態から、「こうすれば恐怖には対処ができる」状態まで持ってきた。
……次の問題はその対処法が今の僕には中々難しいものであるということだが。
ただ、今日の僕ができること、そしてやるべきことは恐怖を言葉にして、触れるサイズにすること。
「これが怖い」とはっきり断言して、恐怖の輪郭を縁取ること。
今日はそれができた。
だから、きっと昨日よりは怖くない日だ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
