寄付をお願いする怖さ
僕の活動は一人では限界がある。
もちろん助けてくれる仲間がいるのが良いかもしれないが、
助けてもらうという意味ではお願いしている寄付はとても大きなものがある。
寄付していただいた方には僕なりに相応のお返しをするつもりだ。
今までの僕の人生を積分したような記事を書いてお返しして行けたらいいと思う。
さて、それはそれとして。
寄付をお願いする、すなわち自分が提供するコンテンツに値段をつけ、
「お金をください」とお願いする。
これには僕にとって、大きな意味がある。
そりゃ誰にも大きな意味はあるだろうが。
まず初めに、何より僕には
「自分」という存在に価格がつく
という経験がこれまでない。
労働の対価には覚えがある。しかしながらこれから僕が参戦するのは「月咲宇宙」に価値を感じてもらいお金をいただく行為だ。
その営みがとてつもなく怖い。
なぜなら、
・お金を出していただけなかった=自分に価値がなかったと自罰
・お金を出していただけた=相応の価値を提供できているのかと自罰
と、どちらにしても自罰・自虐は確定しているからだ。
自分が思い描く「理想の自分」に僕が届くことはない。
仮に僕がどんな価値を提供しても僕の「内なるアンチ」は
「それでは足りない。寄付していただいた方のお金をなんだと思っているのか」
と自分を責め立てる。
何を書いても、何を撮っても、内なるアンチが僕を認めることはなく、
そう言う意味ではbylauとは「許されない僕の物語」と少なくとも今は定義できるかもしれない。
「それでも」と僕は言う。
それでも、どれだけ怖くても僕はこの活動を続けていきたい。
お金が欲しいから?もちろんそれもあるだろう。
「お金を頂かなくても一生続けてまいります」は美しいが、非現実的だ。
僕は何より、誰より、僕のために活動を続けるのだ。
あの日、助けて欲しかった僕のために。
あの日、誰も助けてくれなかった僕のために。
あの日の僕が、今もこの世界のどこかにいるのであれば、その僕のために活動を続けたい。
だから、これからも僕は自分を罰しながらでも寄付をお願いする。
あなたと一緒に、bylauを続けていきたいと進んでいく。
いつかその先に、あの日救えなかった僕がいると信じている。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も1日、お疲れ様でした。
