bylauが消える日
bylauは僕が考えた今より少しだけ優しい世界。
“Beside Your Loneliness And Unhappiness”、「すべての孤独と不幸に寄り添う」をモットーに掲げ、今生きるのが辛い人に少しでも寄り添うコンテンツを作ることを考えている。
僕には大きな夢がある。
bylauで一攫千金すること?
bylauの概念を世界中に広めること?
世界的インフルエンサーとして国連にでも呼ばれる??
全部違う。
僕の夢は、
bylauがこの世から消えること
だ。
この世界は生きにくい。
本当にしんどい。
生きてるだけで辛くて、なんでこんなことばっかりと思うような不幸ばっかり起きる。
それに寄り添うのは大体が孤独で、僕たち(少なくとも僕)の人生は孤独と不幸がセットになっている。
そんな人を一人でも救うためにbylauとして何か作りたいと思った。
初めてbylau、「孤独と不幸に寄り添う」ということを考えた時、ゴールを最初に考えた。
僕が考えるbylauのゴール、それは「すべての人が自分の孤独と不幸を受け入れること」だと思った。
孤独と不幸は人生から消すことができない。
残念ながら、これは事実だ。
どんなに幸せな人生でも、交通事故のように不幸は突然起こるし、どんなに満たされた人生でも、ふとした拍子に孤独を感じることは絶対ある。
でも、それでも、そのことを受け入れることができたら、
孤独と不幸を人生の敵ではなく、(残念ながら)避けては通れない友だと捉え直すことができたら、少しだけ生きるのが楽になるかもしれない。
本当にそんなことができるかわからない。
実際、今の僕自身がそんなことはできていない。
孤独は毒のように苦しくて、不幸は首を絞められるように辛い。
これと共に生きるのが「人生」なんて考えたくもない。
それでも。だからこそ、僕は夢を見る。
いつか、僕の人生も、誰かの人生も「孤独や不幸はあるけれど、これも人生だよね」と言えるような世界を作りたい。
そうして世界が少しだけ孤独と不幸を受け入れるようになった時、
bylauは役目を終えるのだ。
世界が少し優しくなって、自分が少し生きやすくなって、他人を少し受け入れることができるようになったら、bylauは存在する意義がなくなる。
本来なら、「孤独と不幸に寄り添う存在」が寄付を募ることなどあってはならないはずだ。
それほどまでに世界に孤独と不幸が蔓延していいはずがない。
だからこそ、僕はbylauを広めながら、bylauが終わるその日を夢描く。
「あぁ、楽しかった。やりきったな」と言える日を待ち望む。
世界はやっぱり残酷で、孤独も不幸も避けられないけれど、それでもそれを受け入れて生きている人には何かがあると思うから。
思い込みや盲信かもしれないけれど、そこまで頑張ったのならご褒美のような何かがあっていいはずだから。
泣きながら、苦しみながら、眠れなくても僕は文章を書く。
いつかの誰かに届くはずだから。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
