孤独感からのこうげきのしょうたいが つかめない!(即死あり)
元ネタは某ゲーム。
2しかプレイしたことないけれど。
ノリーナ・ハーツ著の「THE LONELY CENTURY なぜ私たちは『孤独』なのか」を読み終わりました。
曲がりなりにも「孤独感ケアについて研究したい!」とほざいている割に、「どうして今まで読んでこなかったんだろう……」と思えるほどの名著でした。
この本では孤独感について幅広い視点から書かれています。
興味がある方はぜひ、電子書籍はないようですが。
この本を読みながら僕は考えました。
「孤独感がやばいことはわかった(知ってた)。じゃあどうする??」ということを。
お金を払って何かしらのコミュニティに所属する?
シェアハウスや会員制のジム、サークルに所属すれば全人口ハッピー?
……そうは思えません。以下の課題があるからです。
・強者だけが孤独を遠ざけられる(マタイ効果)
資本主義、利益至上主義の社会では正しいことかもしれませんが、やはり僕には反対です。そもそもコミュニティに属することで大きな恩恵を得ることができるのはいわゆる「コミュニケーション強者」だけです。
コミュニケーションが苦手な人や、そもそも金銭的、時間的な問題からコミュニティに属することができない人はケアの対象外になります。
そもそも、コミュニティである程度の恩恵を得られる強者は孤独感を感じにくく、孤独感を感じたとしても解決する方法を取れることが多いです。少なくとも、コミュニティに属しても恩恵が得られなかったり、コミュニティに属することのできない人たちに比べれば。
であれば、強者のためにコミュニティを開くのはあまり意味がないと考えます。
コミュニティによって救われない人のことを考えると、そういった結論になります。
・本当にケアが必要な人に届かない(さかさま医療ケアの法則)
あなたは「自分は孤独感ケアが必要だ」と言えるでしょうか。
言えるのであれば、あなたは自分を客観的に見ることができていますし、何より自分の心を大切にしようとする優しい意志があります。
ただ、少し周りを見渡して考えてみると、必ずしもそのような視点は一般的ではありません。
全員が全員、自分の危機に気がつけるわけではありませんし、自分に優しくできるわけでもありません。
例えば、ラジオ体操を例に取ります。ラジオ体操はおそらく日本中で行われており、参加者も多いと思いますが、参加する多くの人は少なくとも「自分にはラジオ体操が必要だ」と考えることができ、それを実行に移す余裕がある人です。
早朝のラジオ体操に参加する余裕がなかったり、そもそも健康に興味がなかったり、むしろ朝5時からお酒とか飲んじゃう人たちにとって、ラジオ体操というヘルスケアは届きません。
コミュニティも同じです。
孤独感を感じている人は一般的に社会的な能力が低下すると言われています。
つまり、「寂しいと余裕がなくなる」というわけです。
その状態でコミュニティに参加することができるでしょうか。
会社や学校で疎外感を覚え、自分で手いっぱいな時に誰か、他者を気遣うことができるでしょうか。
結果、本当に孤独感ケアが必要な人にはケアが届きにくいといったジレンマが発生します。
もちろん、だからと言って「コミュニティなんかクソ!」なんて言うつもりはありません。
むしろ、既存のコミュニティはこれまでと同じように維持されていくべきだと考えています。
一方、いわゆる「優しい」コミュニティには問題もあります。
内部に優しいコミュニティはその分、外部に厳しいことが往々にしてあります。
内の者には優しく、心暖かいコミュニティは、余所者に対しては懐疑的で保守的な様相を示します。
じゃあ、そこにも属せない弱者はどうすればいいのか、コミュニティはその答えを示してはくれません。
そのため、僕は「コミュニティにより孤独感ケアを行う!」という考えには無条件に賛成することはことはできないという訳です。
僕自身もコミュニティに参加しているから、その恩恵はわかります。
おそらく、有料でコミュニティへの帰属意識を販売するサービスを立ち上げれば一定の成功を収めることもなんとなく想像つきます。……bylauがお願いしている「寄付」も見方によればその一環ですし。
ただ、それだけでは求めるゴールは得られない、社会から「孤独感を必要以上に感じてしまう人」を減らすことはできないことは、今の社会が証明しています。
では、ネットワークはどうだろう??
アナログなコミュニティが難しいのであれば、デジタルなネットワークを考えてみましょう。つまりはSNS。
これは僕も考えていて、今も心のどこかでは有力だと信じていますが、やはり効果は弱いでしょう。
ネットワークが孤独感ケアを補助する役割であれば多少は役に立つでしょう。
しかし、ネットワークそのものを孤独感ケアの主力に位置付けてしまうと、話は変わってきます。
ネットワークとはつまり「欲しい人」同士をマッチングするサービスです。
・「買いたい人」が欲しい人と「売りたい人」が欲しい人
・「彼氏」が欲しい人と「彼女」が欲しい人
・「教わりたい人」が欲しい人と「教えたい人」が欲しい人
などなど……
既存のサービスは「欲しい人」同士をマッチングすることで価値を生み出します。
じゃあ、孤独感ケアは?
「他者の孤独感を解決したい人」が欲しい人と「自分の孤独感を解決して欲しい人」が欲しい人(ややこしい言い方になりましたが、前者がケアの対象、後者がケアを行うケアラーになります)、この2者がマッチングできれば幸せになるでしょう。
このサービスは既存です。命のでんわや傾聴サービス、無料から有料まで、多くのサービスがあるでしょう。
おそらく、「孤独感ケア」としてSNSを作ろうとした場合、以下のマッチングになってしまうと思います。
「他者の孤独感を解決したい人」が欲しい人と「他者の孤独感を解決したい人」が欲しい人
つまり、「助けて欲しい人」同士がマッチングすることになります(少なくとも私が考えている”Haven”はこの仕組みです)。
確かに、このモデルでも助かる人はいるかもしれません。
しかし、助けて欲しい人同士がマッチングしたところで、さらに助けて欲しい人が生まれてしまうだけではないのか、僕はそう考えます。
何より、ここでもコミュニティと同じ問題が生まれます。
すなわち、「ネットワークで孤独感を感じなくなる人は活動的な人であり、そういう人はそもそも孤独感を感じにくい」という「強者だけが孤独を遠ざけられる」理論から抜け出せません。
じゃあ、どうしよう。
それが思いつかない。
少なくとも2026年3月の僕には思いつきません。
多分、世界でもまだ「これだ!」と思いついている人は少ないかもしれません。
今僕が考えているのは、自分が「お世話する側」に回ることで返って自分のケアをするスタイルです。
例えばペットやペットロボットのような。
犬や猫だけではなく、現在であればAIBOやLOVOTなど、様々な形で「お世話する側」に回ることができます。
これらはAAT(動物介在療法:Animal-Assisted Therapy)やRAT(ロボット介在療法:Robot-Assisted Therapy)と呼ばれています。
これらの療法は両方とも(ちょっとうまいこと言えましたね😏)、昔から研究されていて、RATに関しては日本は先進国とも言える成果を見せています。
しかし、いかんせんこれらの療法には問題があります。
やはりペットもロボットも
・購入、維持できるのはお金持ちのみ
・購入、維持しようと思うのは孤独感への問題意識を持つ人だけ
・そもそもこういった情報にアクセスできない
・(特にペットロボットは)四六時中一緒にいることができない
・所持していることがスティグマになる人もいる(自分が「寂しい人」と思われたくない)
といった問題があると僕は考えます。
もちろん、今回も「だからAATやRATに反対です!」と言いたいわけではなく、僕はどうしても「それでは救えない人たち」のことを考えてしまうのです。
本当は寂しいのに寂しいと言えず、わからず。何かを世界と繋がりたいけれど何かをするお金や時間、余裕がない。ただ、何かが足りなくて心が寒い気がするけれど、何もできない。
そんな人のことを考えてしまいます。
僕自身もそうでしたし、これからそういう人は増えていくと思うからです。
今の僕はAIAT、つまりAIを育てることでAATやRATと同じ効果を得られるのではないかと考えています。
ただ、これはまだ調べていませんが、普通に考えて触れることも触れられることもできないAI、アプリがAATやRATに比べて効果が低いのは想像つきます。
じゃあどうするか、そこが今年、もしかしたらここ10年の僕のテーマになるかもしれません。
・ケアされるのではなく、ケアをする
・余裕はないけれど、わざと手間をかける
そんな存在・行為が誰かを救うことができるのではないか、今の僕はそう考えています。
そのためにも色々勉強しないとね。
何か考えが変わったら改めてこの場で。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
