追われるように、追うように書け。
僕は文章を書くのが好きだ。
自分の内面を言葉にして残すのが好きだ。
「残す」ということに快感を感じている自分もいる一方、
「残さなければならない」という強迫観念にも近い何かに駆られながら書いているのも本当である。
記事を書くとき、僕は救われる。……宗教じゃないですよ〜。より厳密に言えば、書いているときは自分を責めずに済む。
僕はよく、自分を責める。自分を裁く。特に夜はその傾向が強い。
そんな時、眠れない夜は筆を取るのだ。
自分が何を恐れているのか、何に怒っているのか、何に怯えているのか、何を求めているのか。
それがわからないなりに、自分の心を掘り出すように文章を書くのだ。
〜閑話〜
睡眠の研究をされている柳沢正史先生によると、眠れない夜は無理に寝ようとしない方がいいらしいです。
無理やり寝ようとして寝られないと「ここは寝られない場所だ」と体が錯覚してしまうとのこと。
そのため、寝られなかったら諦めて執筆活動をするのは合理的ではあります。……次の日の予定が優しかったらね。
なお、先生が出版されたどの本で書かれていたのか忘れてしまったので、ここの閑話は要出典です。
〜閑話休題〜
そうして自分の執筆を振り返ると、なんとまぁ乱れている。
あなたに公開しているのもその一部でしかない。
あなたに見せられないほどグロかったり、エグかったり、汚かったりする面がいくらでも湧いて出てくる。
……あなたが僕の文章に気持ち悪さを感じていたらごめんなさい。意図せず漏れ出しました。「まぁこれくらいならええやろ」の精神でゴーサインを出してしまいました。
そんなグロい文章を見返して、僕はまた僕を知る。
その文章に首肯する時もあればもちろん反論する時もある。
憐憫を感じる時もあるし、よくもまあ乗り越えたもんだと感心する時もある。
それを読んでいると、また書きたくなる。
強迫観念に追い立てられながら、それでいて内側から溢れてくる何かに押されるように、執筆への衝動が溢れてくる。
何かがある。この衝動の先には何かがある。そんな思いが僕を突き動かす。
読者も筆者すら消え失せ、ただ「書く」ということを追い求める時がある。
そんな快感と安心、恐怖と焦りが僕のHPの一部分を形成しているのだ。
まぁ、そういう時の記事に限って起承転結がなってなかったり、何が言いたいのかわからなかったりするのはご愛嬌。
書きたい文章を書き切った結果、よくわからない文章になるのは疑問だ。何かがおかしい、どこに文句を言えばいいのか。……僕の文章力か。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
