bylauを収入の糧にしたくない
今までで最も矛盾している記事かもしれない。
寄付を求めておいてこの仕草。
神も仏もないものか。
でも、どうしても書かせてほしい。
僕の幼稚で、それでいて純粋な、
創作への思いを。
正直に告白しよう。
僕はbylauを始めた時、収入の新しい柱にしようと考えていた。
自分が体験したこと、考えたこと、思ったことで誰かが救われて、
それに対してお金が支払われる。
とても美しい流れだとは思う。
それは今でも思う。
けれど、こうやって創作を始めて、公開を始めて。
少し考え方が変わってきた。
確かにお金はほしい。
それは否定しない。
できることなら創作だけをしていて生きていたいのも本当だ。
けれど、売るための文章を書きたいとは思わない。
思わなくなった。
もし、お金を得るためだけに文章を書くのであれば、
即ち、マーケティングを意識して文章を書くのであれば、
僕が書く必要性も、優位点も全く感じない。
AIがAIOもSEOも考えて文章を書いてくれる。
そうでなくても、プロのライターさん達がAIを駆使しながら最高に効率的な文章を量産することができる。
そんな時代に、僕がわざわざお金になるためだけの文章を書くことになんの意味があるのか。
意味があるとして、僕に他の人、プロやAIにかなうだけの違いが出せるのか。
文章だけに限って言ったが、イラストだってそうだ。
SDが最高に素敵なイラストを量産できる。
今は神絵師が本当にごまんといる。五万じゃ効かないくらいいる。
その時代に、売れる絵、バズる絵を描くことに意味があると思えない。
……そもそも描けないし。
だから僕はbylauで儲けようとするのをやめた。
やめたやめたというのはこれで何回目か忘れたが、その度に新たに期待し直して、
また「bylauでお金を稼ぐのはやめる!」と言い直している。
ただ、そのサイクルを繰り返すたびにお金からの執着を捨てられている気がする。
現実問題。今の生活のキャッシュフローはめちゃくちゃ悪い。
悪いことは否定しない。
bylauの思想に共感して、活動継続のためにご寄付をいただけることは感激の極みだし、感涙する。誇張抜きで。
ただ、それを抜きにしても僕は文章を書くし、イラストを描くのだ。
そう思うたびに、表現者として一歩階段をのぼれている気がする。
少しずつ、なりたい自分になれてきている気がしている。
いつかは「自分は表現者だ」と胸を張って言えるようになりたい。
それは表現で飯を食っていくという意味ではなく、
表現に依存しなくても生きていけているという意味で表現者になりたい。
絵空事かな?御伽話かな?
表現だけで生きていきたくないのに、表現に身を投じたいなど。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
