何者かになりたい。いつだってずっと。
何者かになりたい人生だ。
僕を定義する言葉はたくさんある。
切り取り方によっていくらでも作れる。
ただ、そうじゃない。
「僕は〇〇です!」と胸を張って言える何かが欲しかった。
いや、「欲しかった」ではない。今でも欲しい。
僕は何者かになりたい。
だから僕は筆を取る。だから僕は配信をする。だから僕はアプリを作る。
その先に何かがあると信じている。
お金ではない、名誉でもない、地位でも権力でもない。
僕自身が何かもわかっていない「何か」がそこにあるはずなんだ。
僕自身を削って、病気にもなって、「死にたい」って何度思っても生き延びてきた。それらが全て報われるような「何か」があるはずなんだ。
それを得た時、僕は何者かになれると思うんだ。
なんて重い想いを吐露したところではあるが、「何か」はまだ影も形も見つかっていないが、なりたい「何者か」は少し形が見えてきた気がする。
それはきっと
・そばにいる人
・孤独の中にいる人
・答えを出さない人
・(不本意ながら)悩み、苦しみ続ける人
であるのだろう。
そういう意味では僕はすでに何者かではある。
「僕は孤独と不幸のそばにいる人です」と、こう胸を張って言いたい。
繰り返しになるが、僕が「孤独と不幸のそばにいる人」になったところで、そこまで傷ついてよかったと思える「何か」があるかはわからない。
でも、そんな先のことは見えないとしても、僕は今の一歩を踏み出す。
踏み出さない時もあるし、戻る時も、どっちが前かわからなくなる時もたくさんあるけれど、いつかは前に一歩踏みだす。
その過程、その揺らぎ、その迷いこそがbylauだと思っているし、それを残していきたい、示していきたいと思っている。
これから先も僕は何回も迷う。手に入れたものの価値がわからなくなって、手に入れたいものがくだらなく思えて、自分の来た道も行く道もわからなくなる。
そうしていつか死ぬ。だとしても、「僕は〇〇だった」と言える人生になるようには足掻いていたいと思う。
何者かになれるかわからないし、なったとしてそれをその時の僕が喜ぶかわからないけれど、全てが終わりになった時に「振り返ってみれば僕は何者だった」と言えるような活動をしていきたい。
もしこの揺らぎに、少しでも覚えがあったら、またここに来てください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も一日、お疲れ様でした。
